人という字は支えあっている?公園の木々たちに学ぶ。
はい、みなさん、いいですか~! え~、まずぅ
人、という字は~
人と人が支えあって「人」という字になります。
と金八先生が言っていましたが・・・
実は人という字は人間が腕をたらして立っている様子なのです。
人は一人で立って歩いていくものなのです。
しかし、一人では生きてはいけない。
止まる 事が少ない と書いて 歩く、
人 の為 と書いて 偽り。
人の為にしていることは、実は偽りなのか、
実は自分自身のためにしているのか、
などと、若き学生の頃もんもんと考えた事はありませんか?
いやー!漢字は深いですね。
あ、こんな事を書こうと思ったのではないのです。
字がうんぬんという前に
やはり人は一人では生きていけないのではあるまいか?
と思っています、
誰かに支えられたり、助けられたり
誰かをまた、支えたり助けたり・・・
そうして周りの人と係わりを持って皆、生きています。
どんな人だって一人で立つことは出来ても
自分一人では生きられないのです。
こころ展示場の歩道の横や公園の木々たちだって
自分の意思ではないにしても、支えあっています。
この支えられている木は
そして、支えている木は
何を思うのだろう。
だからー、なんも思わんよ。・・・って言わんの!
私はいつも、この不自然な形の木々たちを見て
まず、1本1本こうするのは大変だっただろうに。と思います。
支える木は「なんで支えなきゃならんのだ?」
と思っているか
いや、むしろ一度その生涯を終えた自分に
新たな役目が来た事を誇らしくすら思っているのではあるまいか?
またその新しい第二の生涯が終わるまで、この生木を支えていくのです。
そして支えられている方の木は
その役目に答えて、りっぱに成長していこうとするのではなかろうか・・・などと
また、いつもの妄想が・・・
「絶対支えてみせるゾ!」
「絶対答えて成長してしてみせるゾ!」
と聞こえます。
そう、私たちだって
何かに「絶対答えてみせるゾ!」
と歯をくいしばることをしてみたい。
だって、支えてくれている人が回りにいるのだもの。
こころ展示場の周りの木々たちを見て
こんな事を考えるのは、私くらいかな?